Walter社(ドイツ)について・・vol.2
(つづき・・)
Walter社が長い年月をかけて育んできたおもちゃへのおもいは、創立100年を迎えた頃のWalter社長ピーターさんのエッセイに凝縮されていたように思います。少々長くなりますが、ご紹介します。
「就学前の遊びにおける教育的価値についての省察」
遊びの中から学ぶことは、人間の生活の基礎となります。それは大人も子どもも同様です。けれども子どもの遊びにとってもっと重要なことはなんでしょう?遊びの中の教育?それとも遊ぶこと自体?
子どもは最初に感覚を発達させ、そして技能、それから知恵を発達させねばなりません。子どもを自由にしておくと、まず目・耳・鼻・口をきかせ触覚を使うという自然な方法で遊び始めるでしょう。子どもは身の回りのものを調べ始め、占領しようとし、世界を知る第一歩とするでしょう。これは直接的で自然な遊び方と言えます。
幼い子どもの指先の感覚は大人のそれよりも3倍鋭いということを知れば、大人が頭で身の回りを把握するのに比べ、子どもは直接感覚によって把握するものだと言うこともうなずけます。
このような方法で身の回りを把握するからこそ、子どもは正しい素材で遊びを始めることが重要なのです。
「木」は子どもの感覚を開花させるに適した素材の一つと言えます。なぜならば、木には温かみがあり、自然物の感覚を与え子どもに寄り添います。子どもの手の中のたった一つの木のかけらでさえも、細工を施した冷たいプラスチック製品より意味があるのです。
木という原材料がもつ大きな利点として、木では現物の細部まで精巧に作り得ないということが挙げられます。そのためおおよその輪郭を捉えた上で、そのものの特徴を導き出さねばなりません。この障壁はおもちゃにとても大切な意味をもたらします。それは、子どもが自分自身の感覚、想像、感情をそのおもちゃに注ぎ込み、その子どもだけのおもちゃやそれを取り巻く世界をつくりあげなければならないという点です。
木製玩具はシンプルで自然のままであるがゆえに、子どもの想像力をかき立てるのです。
大人はえてして、子どもに技能や知恵を早く付けさせようともくろんで、おもちゃに教育的価値をつけようとしがちです。おもちゃは大人によって運命付けられていると言えるでしょう。
けれども親と子の間に自由で親密な関係が築けることによってすでに教育は始まっています。幼いとき遊びに没頭できていればいるほど、子どもはおもちゃからだけでなく、親からもどんどん学ぼうとするものなのです。
ヴァルターの木製玩具に対する哲学のひとつは、子どもをできる限りその想像と空想の世界にひたらせておく、ということ。
これらを働かせられる余裕のないおもちゃや遊びによって、この分野の発展をせばめてはなりません。
もしも早い段階からせばめられれば、のちのちどんなことが起こるでしょう?きっと心が貧しく創造性に欠け、たぶん人生に欲求不満をもった大人になるでしょう。
私たちは、子どもを十分な時間遊べるようにしてやらなければなりません。遊びに目標をもたせるのではなく・・・。
大変な仕事を伴うやっかいな人生は、早くから~学校にはいるときから~始まります。これはすでにフルタイムの仕事です。就学前の短い期間ぐらい、なにか目標に取り組むというストレスのない時を過ごさせてやれないものでしょうか?
1986年9月1日 ピーター・ヴァルター
参考資料:ありがとうヴァルター。 (株式会社ジョルダン)
今から20年以上も前のエッセイですが、これを読むたびに全くそのとおりであると痛感します。私たちおとなが子どものために今できることがなんなのか、そして子どもたちは日々私たち親(おとな)を手本として学んでいるのだということを考えさせられるのです。
今日は、最後まで読んでいただいてありがとうございました。
これを読んでなにかを感じとっていただけたら、木のおもちゃに携わるもののひとりとして光栄に思います。
Walter社が長い年月をかけて育んできたおもちゃへのおもいは、創立100年を迎えた頃のWalter社長ピーターさんのエッセイに凝縮されていたように思います。少々長くなりますが、ご紹介します。
「就学前の遊びにおける教育的価値についての省察」
遊びの中から学ぶことは、人間の生活の基礎となります。それは大人も子どもも同様です。けれども子どもの遊びにとってもっと重要なことはなんでしょう?遊びの中の教育?それとも遊ぶこと自体?
幼い子どもの指先の感覚は大人のそれよりも3倍鋭いということを知れば、大人が頭で身の回りを把握するのに比べ、子どもは直接感覚によって把握するものだと言うこともうなずけます。
このような方法で身の回りを把握するからこそ、子どもは正しい素材で遊びを始めることが重要なのです。
木という原材料がもつ大きな利点として、木では現物の細部まで精巧に作り得ないということが挙げられます。そのためおおよその輪郭を捉えた上で、そのものの特徴を導き出さねばなりません。この障壁はおもちゃにとても大切な意味をもたらします。それは、子どもが自分自身の感覚、想像、感情をそのおもちゃに注ぎ込み、その子どもだけのおもちゃやそれを取り巻く世界をつくりあげなければならないという点です。
木製玩具はシンプルで自然のままであるがゆえに、子どもの想像力をかき立てるのです。
大人はえてして、子どもに技能や知恵を早く付けさせようともくろんで、おもちゃに教育的価値をつけようとしがちです。おもちゃは大人によって運命付けられていると言えるでしょう。
けれども親と子の間に自由で親密な関係が築けることによってすでに教育は始まっています。幼いとき遊びに没頭できていればいるほど、子どもはおもちゃからだけでなく、親からもどんどん学ぼうとするものなのです。
ヴァルターの木製玩具に対する哲学のひとつは、子どもをできる限りその想像と空想の世界にひたらせておく、ということ。
これらを働かせられる余裕のないおもちゃや遊びによって、この分野の発展をせばめてはなりません。
もしも早い段階からせばめられれば、のちのちどんなことが起こるでしょう?きっと心が貧しく創造性に欠け、たぶん人生に欲求不満をもった大人になるでしょう。
私たちは、子どもを十分な時間遊べるようにしてやらなければなりません。遊びに目標をもたせるのではなく・・・。
大変な仕事を伴うやっかいな人生は、早くから~学校にはいるときから~始まります。これはすでにフルタイムの仕事です。就学前の短い期間ぐらい、なにか目標に取り組むというストレスのない時を過ごさせてやれないものでしょうか?
1986年9月1日 ピーター・ヴァルター

今から20年以上も前のエッセイですが、これを読むたびに全くそのとおりであると痛感します。私たちおとなが子どものために今できることがなんなのか、そして子どもたちは日々私たち親(おとな)を手本として学んでいるのだということを考えさせられるのです。
今日は、最後まで読んでいただいてありがとうございました。
これを読んでなにかを感じとっていただけたら、木のおもちゃに携わるもののひとりとして光栄に思います。
Beans. at 2008年05月23日21:00
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